悪はどこだ



 やつは喧嘩がめちゃめちゃ強かった。
 それ以上に"悪"をぶちのめすことが大好きだった。
 それは、ただ正義感が強いなどというという生易しいものではなかった。
 自分は被害者でも関係者でもないのに、ただソレが"悪"だという理由だけで許すことができなかったみたいだ。
 おまけに、とある暴走族を壊滅させたときも、悪徳商法の業者を叩きのめしたときも、信者から金を巻き上げるだけの似非宗教の教祖を半殺しにしたときも、いつもたった一人でやってのけた。
 2メートル近い巨体と、小岩のような二つの拳だけを武器に。
 そこには煮えたぎる憤りに加え、やつ独特の美学があった。
 敢えて言うならヒーローの美学か・・・
 
  "巨大な悪の巣窟に単身乗り込んでゆく完全無欠のヒーロー"

 そう。
 やつにとって世界は恐ろしいまでに単純明快だった。
 叩き潰すべき巨大な悪と、それに敢然と立ち向かう孤高のヒーロー。
 それがすべてだった。
 やつの部屋を埋める、おびただしいコミックやフィギュア、アニメビデオの世界そのままに。


 何度傷害罪で刑務所に入れられても、その世界観は変わらなかった。
 ややこしい病名をつけられ監獄代わりの病院に収容された後も、さしたる変化は見られなかった。
 世の中はもっと複雑であり、そうそう単純に割り切れるものではないと何度言い聞かせられても・・・
 そんなありきたりな説明など、右の耳から左の耳に抜けているような感じだった。
 それでも、自分の頭があまり良くないことは十分承知していたようだ。
 だから、ソレをやらかす前は、よく周りの人間に尋ねていた。

  「こいつは悪だな?」

 新聞記事やテレビニュースを指差しながら。

  「どうなんだ!? 悪だろ!?」

 そんな時、僕らは顔を引きつらせて慎重に言葉を選ぶことしかできなかった。

  「あ・・・悪かも知れないけど・・・今に警察が捕まえてくれるさ」
  
 あるいは  

  「あ・・・あんなの・・・君が手をかけるほどの悪じゃないよ」

 でも、結局やつは独り出かけていった。
 いぶかしげに首を傾げながらも、自身でソレを確かめるために。
 そして単身乗り込んでいった先、ヤミ金融業者を騙った暴力団の事務所なんかで苦悶のうめきを上げながら血反吐を吐いて横たわる連中を前にしても、いつも決まって底知れない虚しさに襲われるそうだ。

  "こんなもん?"

 同時に、胸の奥底から湧き起こる絶望混じりの叫び。

  "こんなもんじゃねぇだろっ!!"

 そう。
 やつにとって"悪"はもっと強大凶暴であるべきだった。
 完全無欠のヒーローが命を賭してなお、倒せるかどうかわからないほどの。
 たかがパンチ一発で吹っ飛んだり、青くなって逃げ惑うような連中は"悪"の名にすら値しなかった。
 それはただの"弱さ"に過ぎなかったからだ。
 そして"弱さ"は、やつの言う"悪"とは相容れないものだった。
 でも、この世の悪のほとんどが人の弱さと同義同根だとしたら、やつは・・・



  「警察官にでもなれば?」

 とっくに警察を懲戒免職になっていたやつには、そうアドバイスすることもできなかったので

  「格闘技でもやってみれば?」

 何度かそうアドバイスしたことがある。
 本気でやつがプロに転向すれば、相当なところまでいけるのは誰の目にも明らかだった。
 あの巨体に人並みはずれたパワーと運動神経、相手をぶちのめすためだけに生まれてきたような肉体・・・
 でも、純粋に肉体的強靭さとテクニックだけを競い合う世界にはまるで無関心だった。
 やつの返事はいつも決まっていた。

  「あいつら、悪じゃないだろ?」

 そう。
 やつが本気で戦う相手は、あくまで"悪"でなければならなかったのだ。
 冥王サウロンやダースベイダーみたいに強大無双で、おどろおどろしい純粋の悪。

  "純粋で混じりっけのない本物の悪"

 それを打倒することのみで自己完結できる究極の目的物。 
 でも、果たしてそんなものがこの世に存在するのだろうか・・・
 並の人間なら、そんな勇壮で単純明快な勧善懲悪ストーリーに憧れながらも、どこかでこの現実世界と一線を引くことを学ぶ。
 混沌とした卑小な現実と、そこそこに折り合いをつけ、生きていくために・・・
 でも、やつは違っていた。
 つねに妥協なく"悪"を探し求めていた。
 ヒーローをヒーロー足らしめる、本物の悪を・・・   



  「悪はどこにいるのでしょう?」

 刑務所から届いたやつの最後の手紙。

  「もう、ここ日本にはいないのでしょうか?」

 数々の汚職にまみれてなお、議員辞職しようともしない某国会議員を、永田町の議員会館でタコ殴りにしたあの事件。
 それが、やつがここ日本でやらかした最後の"クエスト"だった。
 しかし、ぼこぼこ顔でひいひい泣き叫んで許しを請うその姿は、新聞やメディアで報じられているような巨悪どころか・・・
 ただの卑屈でみじめったらしい一人のオヤジに過ぎなかった。
 その絶望がやつに最後の決断をさせたのか。
 
  「だとしたら、もうここに僕の居場所はないように思います」






 二年後。
 懲役刑を終えて出所したやつは、そのまま僕らの前からも姿を消した。
 とうにクビになっていたアルバイト先の幼稚園にも丁寧に辞表が郵送されていた。
 北朝鮮の首都ピョンヤンで、不法入国の日本人が独り総書記官邸に押し入ろうとして射殺されたニュースが報じられたのはそれからほぼ半年後のことだ。