引きこもり3



 あれから八ヶ月。
 マグロ船からタケシ兄ちゃんが帰ってきた。
 久々に目にする兄ちゃんはまるで別人のようだった。
 真っ黒に日焼けし、ぶよぶよの脂肪もシャープにそぎ落とされ筋肉の鎧で覆われているみたいだった。
 でも兄ちゃんは母さんや僕を無視するかのようにむっつり二階の自分の部屋に上がっていくと、いそいそと荷造りを始めた。
 そして僕らの方を振向きもせず吐き捨てるように言った。

 「ここにはもう居たくねぇんだよ」

 既に引越し先のアパートも決め業者の手配も済ませてあるという。
    
 「どんな気持ちか考えたことあんのか?」

 呆然と立ち尽くす母さんに兄ちゃんはさらに言葉のナイフを投げつけた。

 「親に売り飛ばされた息子の気持ちをよ!」

 「でもあれは・・・」

 母さんはおろおろしながら言いよどんだ。

 「あれは・・・お前のためを思って『厄介払いしたかったんだろ!?」
 
 「おまけに金までもらってよ!」

 兄ちゃんは容赦がなかった。

 「俺は廃品かよ!! 古雑誌か? 壊れたラジカセかっつーの!!」

 言い返すこともできずに涙ぐんでた母さん・・・
 でも、兄ちゃんの怒りや恨みももっともだと思った。
 何も知らなかったとはいえ、あれに一役加担した僕にも幾分の後ろめたさがあった。



 その晩。
 気を取り直した母さんはキッチンで腕を振るった。
 トンカツ、ハンバーグ、エビフライ、スパゲッティ・・・
 ぜんぶ兄ちゃんの好物だ。そしてあの頃のように兄ちゃんの部屋の前まで運んで行って声をかけた。

 「食事ができたよタケシ」

 「いらねーよ!!」

 途端に兄ちゃんの怒号がドアを震わせた。
 それでも母さんは哀願するように言った。

 「あのことなら謝るから・・・ね? 食べとくれ。最後に一口だけでも」

 「いらねーつってんだろ!! また睡眠薬もられちゃたまんねぇからな!」

 「そ・・・そんな・・・」

 トレイをもつ母さんの手が震えていた。
 料理の皿が小刻みにカチカチ鳴っていた。
 それと母さんがすすり泣く声だけが長い間廊下に漂っていた。
 でも、しばらくして様子をうかがうとドアの前に置いた料理はなくなっていた。



 そして。
 まだ暗い翌朝未明。
 ギィーと音がして僕の部屋のドアが開いた。
 首だけ突き出した母さんが声をひそめるように言った。

 「ヒロシ。悪いけどまた手伝ってくれる?」

 そして外にはあの黒塗りの車が止まっていた。