引きこもり4



 とうとうタケシ兄ちゃんが家出した。
 二度目のマグロ船から戻ってくるなり、さっさと自分の荷物をまとめ、二時間後には業者のトラックで引っ越して行った。
 取り付く島もないとはこういうことを言うんだと思った。
 母さんはその間、謝りながら何度も話しかけていたけど、兄ちゃんは振向こうとさえしなかった。
 無言でせっせと荷造りするその背中がこう叫んでいるように思えた。

  "もう親でも子でもねぇんだよ!"



 それから二ヶ月。
 兄ちゃんから手紙が届いた。
 それには今の住所も書いてあった。
 母さんと僕はいそいそと出かけていった。
 兄ちゃんがやっと僕らを許してくれたんだと思った。


 ありふれた木造アパートだった。
 でも兄ちゃんは笑顔でドアを開けてくれた。
 そして今は力仕事のフリーターをしているなどと話してくれた。

 「アレからいろいろ考えたんだ・・・俺」

 兄ちゃんは改まった口調で続けた。

 「で・・・やっぱアレでよかったんじゃないかって」

 「あのまま引きこもってたら俺、どうなってたか分かんねぇもんな」

 「船でもまれて自信もついたし・・・こうして先のこと考えられるようになったのも・・・」

 「だから俺・・・感謝してるんだ」

 兄ちゃんは照れくさそうに下を向いて話してたけど

 「感謝だなんて・・・」

 母さんの目にはじわっと涙が浮かんでいた。

 「謝らなきゃならないのはこっちの方なのに」

 「さぞかしつらかったろう?」

 「さぁさ、好きなものでも食べて元気だしとくれ」

 そう言って母さんはテーブルの上に持参したタッパ詰めの手料理をいそいそと並べ始めた。
 瞬間、兄ちゃんの肩の筋肉がピクッと痙攣して表情が引きつった。
 そしてなかなか箸を取ろうとはしなかった。
 そんな様子に

 「まだ疑ってるんだね」

 母さんがぽつりともらした。
 そして自分も箸を取りながらもの悲しそうに呟いた。

 「無理もないよね。あんなことした母親なんだから」
  
 自分の手料理を少しずつ口に運びながら、母さんはまたしくしく泣き出していた。
 やがて兄ちゃんが一言。
 
 「ごめん」

 そして箸を取るやすごい勢いで食べ始めた。
 トンカツ、ハンバーグ、エビフライ、スパゲッティ・・・

 「まだまだいっぱいあるからね」

 母さんは涙をぬぐいながらも嬉しそうに目を細めた。
 結局は母と息子、親子の和解・・・
 僕も少しジーンときた。
 そして

 「お茶でも入れてこようかね」

 と、母さんが兄ちゃんの後ろに回った次の瞬間

  グワシャ!

 物凄い音がして兄ちゃんの頭で何かが砕け散った。
 見ると、そこらじゅうに散らばった花瓶の破片。
 突っ伏したままぴくりともしない兄ちゃん。
 その背後から首筋にそっと手を当て
 母さんは僕に言った。
 
 「だいじょうぶ。死んじゃいないよ」

 そして何事もなかったかのように例の台詞。

 「さ、手伝っとくれヒロシ」 

 ふと窓を見ると
 アパートの外には
 やはりあの黒塗りの車が止まっていた。