悪はどこだ3
ヤツを日本の総理大臣にする。
目標は決まった。でもその前にヤツに一般的な悪の形を見せておく必要がある。
全ての悪を叩き潰す。それを公約に掲げる以上、様々なタイプの悪について知っておいて欲しかったからだ。
まず手始めに僕はヤツを連れて白金の一等地にある邸宅にお邪魔した。
その瀟洒な居間では一人の老人が床についていた。
老人はギョッとなり半ば起き上がって叫んだ。
「だ・・・誰だ君たちは!」
僕はかまわずレクチャーを始めた。
「とあるメーカーの顧問をしている人だ」
「こいつが悪なのか?」
ヤツは首を傾げながら聞いた。
「そうだ」 「な・・・何の用だ?!」
僕は頷いた。
「ある公団から天下り、裏で談合を取り仕切ってその結果、国民に何千億という損害を与えたんだ」
「・・・・」 「・・・検察か?・・・令状はあるのか?」
ヤツは口を開けぽかんとしていた。最初から少し難しすぎたかもしれない。
それでも「だ、誰かーーー!」と叫んで逃げ出そうとした老人の首根っこをつかんで片手で宙にぶら下げていた。
「そんな悪いやつに見えないけどなぁ」
ヤツは宙でじたばたもがく老人をまじまじと見据えて言った。
確かにそうだろう。こんな貧相でしょぼくれたどこにでもいそうな老人・・・
ヤツがこれまで相手にしてきた暴力団や暴走族等に比べれはまるで拍子抜けするのも無理はない。
「それでも悪なんだ。そうは見えなくてもね」
「そうか・・・」
ヤツは老人を宙吊りにしたまま、片方の手でゆっくりと巨大な拳を振り上げた。
「ひっ!」
引きつった老人はパジャマの裾からボタボタと脱糞していた。
「なぁ・・・」
ヤツはぴたりと拳を振り上げたまま聞いた。
「どうしても叩き潰さないとダメか?」
さすがのヤツもふんぎりがつかないようだ。
「全ての悪を叩き潰すんだろ?」
「そうだけど・・・なんか・・・」
「なんか?」
「なんか・・・違うんじゃないかって・・・」
「わかった。もういいよ」
それを聞くとヤツはホッとしたように老人を投げ出した。
ドサッと床に転がった老人は既にぐったりと気を失っていた。
次に僕らは光が丘のマンションの一室にお邪魔した。
3LDKのダイニングでは一家団欒の夕食が始っていた。
「誰だお前ら! 人の家に勝手に・・・」
まだ若い父親がいきり立って叫んだ。
が、僕はかまわず次のレクチャーを始めた。
「彼はとあるリフォーム会社の営業部長だけど大勢の人々を騙してきた」 「な!・・・」
「大勢の老人を騙して不要な工事をさせ数億という金を騙し取ったんだ」 「何を証拠に・・・」
「じゃあ悪だな」 「おい! 110番しろ」
ヤツはいきなり飛び掛ってきた男を軽く弾き飛ばし、それから片手で摘み上げた。 「きゃっ!」
男はすでに鼻血まみれで気を失っていた。 「パパぁ! パパぁ!」
小さな女の子が泣きながら男のぶら下がった足にしがみついてくる。
その子をかばうように若い女が震えながら泣き叫んだ。
「どうか・・・どうかこの子だけは!・・・まだ四歳なんです!!」
僕らを強盗かなんかと勘違いしているようだ。
ヤツはまたも困ったような顔になって振り上げた拳をぴたりと止めてしまった。
「なぁ・・・」 「パパぁ! パパぁ!」
「確かに悪だよ。そうは見えないかもしれないけど」 「どうか・・・どうかこの子だけは・・・」
僕は聞かれる前に念を押した。 「パパぁ! パパぁ!」
「・・・・」 「どうか・・・どうか・・・」
気を失ったままボタボタ鼻血を滴らせる男、ヒンヒン泣きながらまとわりつく子ども、フロアに額をすりつけ哀願する妻・・・それらを交互に見やったのち、ヤツは萎えたように拳を下ろしてしまった。
ヤツに唯一弱点があるとしたらそれは"子ども"かもしれない。
悪を叩き潰すとき以外は幼稚園で保父さんのアルバイトをしているほどの子ども好きなのだ。
「いいよ・・・行こう」
僕はそう声をかけ出口に向かった。
ホッとしたようにヤツも男をフロアに寝かせた。
ぐったりした男にわっとしがみつく妻と女の子。その子の頭を軽くなでた後ヤツもその部屋を後にした。
その日最後に向かったのは西日暮里の分譲住宅。
二階の部屋では一人の少年が勉強机に向かっていた。
「彼はとある進学校に通う中学三年生」 「うわっ!・・」
僕はその日最後のレクチャーを始めた。
「学校でも成績はトップクラスで生徒会の役員もつとめる優等生だ」 「だ・・・誰・・・ですか?」
「でも一つだけ悪い癖があってね」 「新しい家庭教師の人?・・・」
「この本棚に並んでいる参考書もコミックも大半が万引きしてきたものなんだ」 「な・・・」
「最近は自分が必要としない本までごっそり万引きし、業者に売りさばいて小遣いを稼ぐなんてことまでやっている」
「なんだてめぇ! ひとりでぺらぺら・・・」
いきなりキレてわめき散らした少年もヤツに片手で宙ぶらりんにされるとすぐにおとなしくなった。
「おい。本当なのか?」
ヤツがそうたずねると少年はこっくりと頷いた。
そしてぶら下げられた風鈴のように消え入りそうな音を上げた。
「もうしません・・・本当です・・・だから親にだけは・・・」
ヤツは"どうする?"とでも言うように僕を振り返った。
「それでも悪は悪だ。償いはさせる必要がある」
僕はきっぱりと言った。
ヤツは今度もしぶしぶと拳を振り上げた。
少年の歯がガチガチ鳴りその股間がじわりと濡れていった・・・
そして
夜の帳が下りた帰り道。
「どうだった?」
僕はヤツに改めて感想を聞いた。
「・・・・」
でもヤツはさえない表情で押し黙ったきり。
釈然としないのか利き腕の拳を何度も握ったり開いたり・・・
「そんなに殴り味が悪かったのかい?」
ずいぶん気の抜けた一撃であったことは確かだ。
それでもひ弱な少年は吹っ飛び泡を吹いて失神してしまった。
分かっていた。あんなんじゃ悪を叩き潰す手ごたえ・快感なんか得られようはずもない・・・
「でもね・・・」
僕はその日のレクチャーの締めくくりとして言った。
「あんなヌルくてセコい悪がほとんどなんだ。ここ日本では」
「そういうのばかりこれから束にして相手にしなくちゃならないんだよ」
「君が政治家になって、あの金正日とサシで対決できる総理大臣になるまでには」
「・・・・・」
「君にそれが出来るかい?」
「・・・・・」
ヤツは最後まで何も言わなかった。
僕にはその大きな肩が深い迷いと苦悩に沈んでいるように見えた。