引きこもり7



 ま・・・
 まさか兄ちゃんがそんなところにいようとは。
 清田さんからTELがあった時も信じられなかった。
 でも、VTRの画面に映った男を何度リプレイして見直しても、それは兄ちゃんその人だった。

 場所はマレーシア、スマトラ島西岸のパダン。
 先のスマトラ沖地震で津波による甚大な被害を受けた港町だ。
 その惨状を真っ先に世界に配信したイギリスBBCのニュース映像に兄ちゃんが写っていたのだ。
 英国人レポーターにとっては兄ちゃんも現地人の一人に見えたのかもしれないが、向けられたマイクにも一言も発しないまま、空ろな目で呆然と周囲の瓦礫を見渡しているボロをまとった髭面の男は、紛れもないタケシ兄ちゃんだった。
 病室ごと巨大鉄球で破壊され拉致された兄ちゃんが、どうしてそんなところに・・・
 
 僕と清田さんは直ちに現地に飛んだ。
 成田からマレーシア航空機で首都クアラルンプール。
 そして乗り継いだ国内線でスマトラ島北東の大都市メダーンへ。
 そこからはローカルバスを四度乗り換え約13時間・・・そこがパダンだった。

 あの大津波から十ヶ月。
 海に面した市街地の三分の二は未だ復興も進まずTsunamiの生々しい爪あとが広がっていた。
 僕らは被災を免れたスラバヤ地区のホテルに荷を降ろすや、兄ちゃんの写真を手に町に飛び出した。
 そして病院、警察署、ホテル、レストラン、土産物屋などめぼしい場所で片っ端から聞いて回った。

 "Have you seen him?"

 "He is Japanese!"

 でも皆、気の毒そうに首を振るばかりだった。  
 不運にもこの地で被災し行方不明になった観光客の肉親と思ったに違いない。
 実際、僕ら同様写真だけを手がかりに今も駆けずり回っている西欧人は少なくないという。
 でも僕らは声を大にして叫びたかった。

 "He's alive here!"

 彼は確かにここで生きてるんだと。
  

 でも、これほど足を棒にしても手がかりが得られないのは・・・
 そんな諦めが僕らの首根っこをじわりと締めつけ始めた六日後。
 驚いたことに警察からパトカーで迎えが来た。
 そして向かった先はパダンから南へ車で一時間のドゥルーバユールという田舎町。
 警官の現地なまりの英語に懸命に耳を傾けると、ここにそれらしき日本人が留置されているという。

 に・・・
 兄ちゃんだった。
 竹と椰子の葉で葺いただけの粗末な掘立小屋。
 その片隅で膝を抱えてうずくまっていたのは紛れもないタケシ兄ちゃんだった。

 「タケシさん!!」

 清田さんは警官を跳ね飛ばすようにして兄ちゃんに抱きついた。
 でも、伸び放題の頭髪ともじゃもじゃ髭にくまどられた痩せこけた頬は別人のようで、アウアウと力ない呻きを発するだけで、そのぼんやり空ろな眼差しも、どこか遠いところをさまよっているようだった。

 「ど・・・どうして・・・こんな・・・」

 清田さんの頬を伝う涙が兄ちゃんの垢と埃りでまぶされた赤茶の頬を濡らしていった。
 
   
 その後、警察から聞かされた話は驚くべきものだった。
 JI(ジェマ・イスラミア)というインドネシアの反政府組織を皆さんはご存知だろうか。
 2002年10月のバリ島爆弾テロや2003年8月のジャカルタ、米国系ホテル爆弾テロなどで名を馳せた、あのアルカイダともつながりがあるといわれる東南アジアのイスラム原理主義・武装地下組織だ。
 そのJIが活動資金を得るため、ここスマトラ島でも様々な非合法活動に手を広げている。
 売春、人身売買、麻薬密売、違法カジノ、武器輸出、贋金作り・・・・
 中でも連中が力を注いでいるのがアヘンの原料となるケシ栽培だといわれている。
 スマトラ島西岸を背骨のように貫くバリサーン山脈の密林では、これまで十数に上るそうした違法農園が摘発されている。
 そこで強制労働に従事させられている労働者の中には、海外から拉致されてきた幾多の外国人も含まれているという。
 そしてタケシ兄ちゃんも、ごく最近摘発・急襲されたケシ農園で保護された外国人の一人だった。
 しかし身元を明かすものは何もなく、本人がこの通りの心神喪失状態なので国籍すら分からずじまい。
 一時的に警察で身柄を預かっていたところにあのTsunami大災害。倒壊した留置所から抜け出してパダンの町をさまよっていたところを再度保護された・・・・という話だった。
 
 
 絶句。
 言葉がなかった。
 パトカーでホテルへ戻る間も、僕らは何もしゃべらなかった。
 後部座席の兄ちゃんは清田さんの胸に抱かれたまま赤子のような寝息を立てて眠っていた。
 そのぼさぼさにほつれたレゲエ髪を何度も優しく撫でてゆく真っ白な手・・・
 でも、清田さんの目はひたと前方の一点を見据えていた。
 怖いほどに眉根を寄せ、強い意志を秘めたその視線はヘッドライトで照らし出されたでこぼこ道の彼方にひそむ、見えない敵を既に見透かしているかのようだった。

  その敵が誰なのか

 僕らは既に知っていた。
 知りすぎるほどに知っていた。
 その名を口にするのもためらわれるほどに・・・


 ようやく商店が軒を連ねるメインストリートに差し掛かったとき

 "Pull over here, please."

 車を止めてくれるよう清田さんが運転席の警官に言った。
 そして降り際、僕に言った。

 「ホテルに着いたら部屋に鍵をかけて片時もお兄さんの傍を離れちゃダメよ」

 「あたし以外、誰が来ても絶対にドアを開けないこと。いいわね」

 僕は黙って頷くしかなかった。
 それほどにその口調には切迫した緊張感がこもっていた。
 そして警官の制止も聞かず彼女は独り夜の街に消えていった。

  いったいこんなところで何を・・・

 その疑念も消えぬうち、パトカーは逗留中のHoliday Innの正面玄関へと事もなく・・・

  ボグワッ!!

 瞬間、身体が宙に浮いたように感じた。
 凄まじい爆音と真っ赤な炎、弾け飛ぶボンネット。
 気がつくと足が上になり頭は車の天井にめり込んでいた。
 隣の運転席の警官は折れたハンドルの破片を頭部に突き立てたまま変な形に折れ曲がっていた。
 やっとの思いで後部座席から這い出すと、裏返しになったパトカーからはもうもうと黒煙が立ち上っていた。

  爆弾テロ・・・

 そんな言葉が頭を掠めた。
 
  そうだ兄ちゃんを・・・

 が・・・足が前へ出ない。ぐるぐる回る視界。
 集まってくる群衆のざわめき。遠くで鳴るサイレン。意識はそこで途切れた。


 ふと気づくとまたも車の中。
 飛ぶように走っている。
 耳元で鳴り響くサイレン。

  救急車の中?
 
 でも異臭。髪の焼けるような臭い。
 見ると僕の隣にも一人。黒焦げで横たわる血みどろの人。
 兄ちゃん? ・・・タケシ兄ちゃん!? ・・・・生きてるの?
 その傍らで白衣の看護婦がその腕に何か注射しながら言った。
 
 「だいじょうぶ」

 背を向けたまま。しかも日本語。あの声。
 
 「死んじゃいないよ」

 鳥肌が立った。
 そして運転席には、やはりあのサングラス男。うっそりと座っていた。

  あああ・・・ああ・・・

 言葉にならない呻きが喉の奥からせり上がってきた。
 身体は焼けるように熱いのに僕の背中は冷たい汗でぐっしょりだった。
 これほど一人の人間を心底怖いと思ったことはなかった。

  ピシッ!

 何かが砕けた。
 同時に車は物凄い音とともに横転し、後部ドアから放り出されて路面に叩きつれられていた。
 兄ちゃんはごろごろ十メートルほども転がって街路樹にぶち当たり止まった。
 フロントグラスを突き破ったサングラス男はぴくりとも動かない。
 額の真ん中に真っ赤な血の花を咲かせたまま・・・

 「そこにいるのは分かってるわ!」

 突如、聞き覚えのある甲高い声。・・・清田さん?!   
 そして燃え上がる救急車の向うには、拳銃を構えて仁王立ちのシルエット。
 ぴたりと銃口を向け、じりじりと近寄り、再度有無を言わさぬ口調で

 「隠れてもダメ! 出てらっしゃい!!」

 すると、ゆらりと立ち上がるもう一人。
 燃え盛る炎にゆらめく阿修羅のような母さんがそこにいた。