精米所のピアニスト



 今日も巨大な精米機がゴワンゴワンと唸りをあげてフル回転です。
 高松農協から讃岐コシヒカリ20トン七分づきの期日が迫っているからです。

 「回転30!」

 放出口から滝のように流れ出る白粒を鋭い目つきでじっと睨んでいた親方が声を張り上げます。
 
 「回転30!」

 弟子の一人が大声で復唱して船の舵のようなハンドルにむしゃぶりつきます。
 同時に年代物のダイナモからうっすらと湯気が上がり凄まじい轟音とピストン振動が辺りを呑み込みます。

 「遅い! 粒度とツヤがブレてるぞ!」

 親方の額に浮かぶ汗もおびたたしい白粉でまぶされます。
 室温50度。軽油と米糠の臭いが入り混じった異様な熱気が立ち込めます。
 誰もが汗びっしょりなのに作業着も帽子も顔も突きたての鏡餅のように粉まみれです。

 「よーーしそのまま。その調子だ」

 旋回釜内部を覗き込んで確認した後
 首にかけた手ぬぐいでゴシゴシ顔をぬぐい

 「いいぞ藤道」

 親方がさりげなく促します。

 「え・・・でも・・・」

 声をかけられたのは、まだあどけなさの残る見習い職人でした。

 「いいからやれっ! 親方の命令だ!」

 一番弟子の酒田がニヤッと歯を剥き躊躇いがちの藤道の肩を小突きます。
 いいんですか?とでも言いたげに藤道は精米所の隅に置かれたグランドピアノに歩を進めます。
 そして蓋を開け、ふうっと鍵盤に降り積もった粉を吹き払い楽譜をめくり姿勢を正すや顔つき一変。
 精米機のゴワンゴワンいう唸りの隙間に澄んだ音色がポロポロ混じり始めます。
 絶え間なく降りかかる白粉まで鍵盤の上で華麗なダンスを始めます。
 そんな様子に弟子頭の酒田が親方にそっと耳打ちします。

 「腕上げましたね藤道」

 「バカヤロウ! よそ見してんじゃねぇ!」

 途端に親方の怒号が轟きます。
 でも少しは気になるんでしょうか

 「で・・・なんて曲だ?」

 白粒の滝をじっと睨んだままボソリと問いかける親方。 
  
 「あれは確か・・・モーツァルトピアノ協奏曲第20番」

 調子付いた酒田が一気にまくし立てます。

 「この調子ならほんとにイッちゃうかもしれませんよ。ショパンコンクール」

 「そうなりゃ創業以来の快挙ですもんね」

 「山之内(精米所)の連中も、きっと目ぇ白黒させますぜ」

 「まさかのまさかでショパンコンクール優勝なんてことにでもなったら、さぞや先代も・・・」

 「バカヤロウ!」

 またも親方が険しい目で睨みつけます。

 「米磨いでなんぼの精米屋が夢みてぇなこと言ってんじゃねぇ!」

 でも、そんな苦虫顔の言葉とは裏腹に
 ピアノの旋律に合わせて小刻みにステップを踏んでいるのは親方の地下足袋でありました。



 

 その夜。
 川田精米所裏の貧乏長屋。

 「今日はどうだった?」

 白髪交じりの母親が食後のお茶を入れながら問いかけます。

 「もう仕事、慣れたかい? 親方に怒鳴られなかった?」

 「そんな急に上手くなるわけ無いよ」

 ズズズと茶をすすりながらくつろぐ藤道君。

 「精米も奥が深いんだよ。ピアノとおんなじでさぁ」   

 「ピアノ? あんたまだ・・・」

 呆れ顔の母親にもかまわず

 「今日も弾いたんだ。仕事の合間にさ」

 「え?・・・弾いたって・・・まさかお前・・・先代様が大切になさっておられたあの・・・」

 「そう。あのグランドピアノ。国産とは全ーーっ然違うんだなこれが。スタインウェイって『バカッ!」

  ピシッ!!(頬が鳴る音)

 「なんて恩知らずな・・・」

 わなわな震える母親の目が般若のように釣り上がっています。

 「いったい誰のおかげで親子二人、こうして路頭に迷うことも無く・・・」

 今度は涙ぐみ思わず声を詰まらせる母親。

 「違うんだよ母ちゃん! 親方が弾けって言ったんだよ」

 慌てて弁解する藤道君。

 「え?・・・本当に?」

 きょとんとする母親。

 「母ちゃんも知ってるだろ? 川田の先代があの精米所始める前は凄腕のピアニストだったって」

 「それに俺、弟子頭の酒田さんから聞いたんだ。先代の夢・・・」

 そこでしばし遠い目になる藤道君。

 「先代の夢はね、あの由緒あるショパンコンクールで優勝して審査員全員に美味い日本の米をたらふく食べさせることだったんだって」

 「そ・・・そうだったのかい」

 ようやく得心がいったのか
 手ぬぐいを目頭に押し当てたまま泣き笑いの母親。

 「ごめんよ。そうとも知らずにあたしったら・・・」

 「ごっそさーーん!」

 湯飲みをコトリと置いて立ち上がる藤道。
 心配したり怒ったり泣いたり笑ったり・・・
 ありがたいとは思いながらもそんな母親に少し辟易していたのも事実の藤道君でした。

 「オレ、やることがあるから」

 そして早々に三畳一間の隣部屋に引きこもるや
 本棚から精米技能士検定二級の参考書を取り出します。 
 一人前の精米職人になるためにはどうしても通らなければならない関門の第一歩です。 
 ぺらぺら本をめくって昨日の続き、第二章精米方程式練習問題1の(2)

 「えっと・・・標準的なササニシキの粒度が7.2で比重が2.11だから・・・」

 「七部づきにするには粘性係数13.6に旋回釜の回転数の二乗をかけて時間で偏微分・・・」

 などと感心にも勉強を始めました。
 しかし小一時間もするとサラサラと快調に走っていた鉛筆もいつしか指からポロリと零れ落ちます。
 そして、まず右手の五本の指がうねるように動き出しノートの上をタタタと小刻みに叩きます。
 負けじと左手の指も踊りだし見えない鍵盤を叩き始めます。
 こうなるともういけません。
 もはや十人の小人と化した指たちが机上せましと駆け巡り飛び跳ね踊りだします。

  タタタ、ストタタタ、トタトタ、トトトタタ、タタトトト・・・

 そしていつしか押しのけられた参考書とノートの下から現れるエボニー&アイボリー。
 まだ幼い頃、机の表面に彫刻刀で刻み込んだ88鍵盤。
 彼にとっての立派なマイピアノです。
 ただ音が鳴らないだけの。
 でも今は違います。
 今の彼にははっきり聞こえるのです。
 あのスタインウェイの深い響きと生肌のようなタッチが指先からびんびん跳ね返ってくるようです。
 精米所の轢き粉をも蝶の如く宙に舞わせたダイナミックで繊細なメロディーとリズムが蘇ります。
 チャイコフスキー、ベートーベン、モーツァルト、リスト、そしてショパン・・・
 前後に揺れる上体、振り乱れる前髪、頬を伝う汗・・・
 そしてクライマックスに達した後のフォルテからメゾフォルテは緩やかに力を抜いて
 締めのピアニッシモはいっそうひそやかにささやかに、恋人の耳たぶにふうっと息を吹きかけるように・・・

 一瞬場内を静寂が包みます。
 一斉にこみ上げ張り裂ける直前の静けさです。                           「まさる」
 そして・・・割れんばかりの拍手がホールをどよもします。
 誰もがスタンディングオベーションで彼の演奏を称えています。 
 それでも椅子に腰掛けたままじっと目を閉じ呼吸を整える藤道君。       「まさる?」
 音色がメロディーがリズムが身体から静かに抜けていくに任せます。
 至高の音楽は天からの授かり物・・・また天に返してやらねばなりません。
 恍惚のあまり一と滴の涙が頬を伝います。この至福の時を名残惜し『まさる!!」

 「ほれ、べったら漬け」

 トンと小皿を机に置き
 いつしか母親が心配そうに覗き込んでいます。

 「あ・・・」

 「あじゃないよ。どうしたんだい? 目ぇ閉じたままボケッと口開けて・・・何度も呼んだんだよ」

 「あ・・・ああ」

 「あれ? お前・・・泣いてるのかい?」

 「いや・・・なんでもない」

 慌てて頬をぬぐうや
 さりげなく参考書とノートを元に戻してマイピアノを隠します。

 「ほんとに? ・・・あ、お前また『なんでもないったら!!」

 たまらず母親の背を押すようにして部屋から追い出します。
 そしてぴしゃりと後ろ手で襖を閉めた後、ふうっと息をつき 

 「でも俺・・・」

 ポリポリと好物のべったら漬けをかじりながら
 ぽつりと呟く藤道君でした。 

 「ほんとはジャズのほうが好きなんだけどな」

 つづく