悪はどこだ5
「もういいんだ」
保釈されての帰り道。
ヤツはぼそりと呟いた。
「わかってるんだろ?」
「オレみたいなバカ、総理大臣になんかなれるはずがないって」
僕は返す言葉も無かった。
選挙運動の資金稼ぎにと闇金融を襲ってブタ箱にぶち込まれた二週間・・・
幸い被害者が告訴を取り下げたので起訴されることはなかったが
それでも僕同様、ヤツも臭い飯(けっこう美味しかったけど)を食いながらいろいろと考えさせられたようだ。
「人をぶん殴るしか能の無い人間だからなオレは」
「でも・・・」
「いいんだ。また独りで行ってくッから」
「行くって・・・北朝鮮へ?」
ヤツはこくりと頷いた。そして言った。
「今度は必ず殺してくるよ」
「お前、言ったよな。悪を叩き潰すには、その人間ごと消し去るしかないって」
「・・・・」
「でもオレ、考えたんだけど・・・」
「本当に殺す価値のある人間って、そうざらにはいないんじゃないかな」
殺す価値。
そんな言葉がヤツの口から出てこようとは・・・
怒りと憎しみで我を忘れた人間が、その間際、この言葉に少しでも思い至れば、毎日紙面をにぎわしている殺人事件もだいぶ減るんじゃないかと思った。
「金正日なら・・・」
僕は少し間をおいてから聞いた。
「殺す価値があると?」
ヤツはまたこくりと頷いた。
でも、もう何も言わなかった。
それでヤツの決意が固いのが分かった。
そうとなれば、もう僕がしてやれることはあまり無い。
一週間後。
山陰は鳥取の境港。
「じゃ、行って来るよ」
ヤツは照れくさそうな苦笑いを浮かべた。
誰かに見送られるというのは初めてなのことなのだろう。
バイト先のひまわり幼稚園にも欠勤届を出しただけのようだ。
僕は黙って防弾チョッキにヘルメット、そして金正日の主要な邸宅の見取り図を手渡した。
銃撃で致命傷を受ける確率を少しでも減らせば、それだけ目標に最短距離で近づくことが出来る。
邸宅の見取り図だけはさすがに入手困難を極めたが、意外なことに埼玉の小汚い雑貨屋に置いてあった。
「くれぐれも・・・」
そう僕が念を押すまでもなく
「トドメを忘れるな、だろ?」
ヤツはニッと笑って船に飛び乗った。
闇金融から強奪した札束で強引にチャーターした密漁船。
この船がヤツを北朝鮮の近海まで送り届けてくれる手はずになっている。
「分かってるな! 頭をつぶすんだ!!」
走り出した船の後を追って埠頭を駆けながら僕は払暁の暗い海に叫んでいた。
「渾身の一撃で頭蓋を叩き潰すんだ!!」
が、もう返事は無かった。
甲板に独り仁王立ちのヤツは振り返りもしなかった。
ディーゼルエンジンの単調な鼓動だけが潮騒にかき消されるように遠ざかっていった。
こうして犀は投げられた。
おそらくヤツはもう戻ってこないだろう。
金正日という巨大な悪の殲滅の成否にかかわらず・・・
銃もナイフも受け取ろうとしなかったのがヤツらしいと思った。
人を殺す時ですらあくまで素手で、あくまで一対一の生身の人間として。
そう。
たとえ相手が超軍事国家の独裁者であろうが、あくまで生身の二つの拳だけで・・・
悪はどこだ
ヤツが追い求め続けたその解答が
そこにあったのだと思いたい。