精米所のピアニスト3



 夕刻。
 終業後の川田精米所。

 「野郎! 吐きやがれっ!」

 その米倉でなにやらひと騒動持ち上がっているようです。

 「なぜなんだ?! 言わねぇか溝口!」

 弟子頭の酒田さんが大そうな剣幕で後ろ手に縛られた男の胸倉をつかんでいます。

 「てめぇが藤道の演奏をこっそりテープに録音してあの山之内の野郎に手渡したのはもう分かってんだよ!」

 「そうじゃなきゃ、いくらあの山之内でも東京から凄腕ピアニストの助っ人なんか呼べるはずがねぇんだ!」

 二人の後ろでじっと腕組みして瞑目する親方。
 それでもその眉間に寄せた深い縦皺が身内の中に裏切り者がいたことの動揺と苦悩を露わにしています。

 「金でツラ張られたんだろ!? ええっ!?」

 「いや・・・俺は・・・」

 さんざんにつるしあげられた古参の精米エンジニア。

 「俺は・・・」

 その歪んだ唇がようやく何か言葉を吐き出そうとしています。
 ここぞとばかりに畳み掛ける酒田さん。

 「そうなんだな! 金で魂を売ったんだな!? 山之内の野郎に!」

 その時です。

 「違うわ!!」

 その声に親方ともども驚き振向いた先に立っていたのは

 「私が頼んだのよ」

 すらりとした長身、彫りの深い端正な顔立ち、輝くばかりの金髪おかっぱ頭・・・
 川田精米所二代目当主、川田精次郎その人でした。

 「聴くべき者があのテープを聴けば必ず分かるはずよ。この才能はただことではないことがね」

 「ましてやテープを送った先があのリヒター・ボイテルスパッヒャーとは・・・」

 そこでくすっと笑って川田精次郎

 「山之内もずいぶん勉強したようね。本気でショパンコンクールをねらってるのかも」

 「リヒター? ボイ・・ボイテル・・・ボイテルハヒャ『リヒター・ボイテルスパッヒャー」

 舌をかみそうになった酒田さんを二代目が優しくたしなめます。 

 「ショパンコンクールでも何度も審査員を務めたオーストリア人。欧州ピアノ界の重鎮よ」

 「今は東京を拠点に日本、韓国、中国、それにベトナムなどから若い才能を漁ってるそうよ」

 「でもど・・・」

 ようやく親方がしどろもどろに問いかけます。

 「ど・・どうして・・・二代目」

 「藤道君には刺激が必要なの。それもアカデミックなピリピリした刺激がね」

 「彼のあふれんばかりの才能は今ようやく開きかけたところなの。でも彼はピアノの本当の厳しさを知らない」

 「それを楽しむことしか知らないわ。だから最近はジャズにまで手を出してるようよ。知ってた? 酒田さん」

 「ええっ! 本当ですか・・・あの野郎ーーっ!」

 とたんに今度会ったらとっちめてやるといった顔つきの酒田さん。
 それでも柔和な笑みを浮かべたままの二代目。

 「五郎池タメ子・・・願ってもない咬ませ犬だわ」 

 「か・・咬ませ犬?・・・でも、そのリヒターって大先生の秘蔵っ子でしょ? それに天才だって噂じゃ・・・」

 「いいえ。真の天才は藤道君。彼女はほとんど努力の人よ」

 「それは彼女も分かってるはずだわ。それも身にしみてね。藤道君のプレイを直に耳にした時に」

 「そういえばいつの間にかいなくなってましたね。藤道が弾き終わった時」

 「思えばかわいそうな子なのかも・・・」

 ふと物悲しげに眉をひそめる二代目。

 「それにリヒターの本当の秘蔵っ子は別にいるはずよ。でなきゃ独りでこんな田舎に送り出したりしないわ」

 「あいつのいつもの遣り方・・・本命は最後の最後まで出し惜しみよ」

 「あいつ? ・・・お知り合いなんですか? そのリヒターって大先生と」

 それには答えず意味深な笑みを浮かべたまま

 「ともかくそこの溝口さんは解放してお上げなさい」

 「ごめんなさいね。私のせいで裏切り者の濡れ衣を着せて」

 後ろ手に縛られた男の額にチュッと軽く口付けする二代目、川田精次郎。
 無言で頬を赤らめる精米エンジニア。なぜか同時に真っ赤になる親方。
 そのまま優雅に身を翻して立ち去ろうとする二代目です・・・が

 「あ・・・そうそう」

 ふと足を止め

 「きのう山之内から電話があったわ」

 「今度の新嘗会(にいなめえ)の余興で、あの"ピアノバトル"をやりたいそうよ」

 「受けておいたから。藤道君にも伝えておいてね」

 「ええっ!?」

 素っ頓狂な酒田さんの叫びが木霊する米倉。

 「えええーーーっ!!」

 そして夕闇迫る川田精米所。
 あとには二代目のほのかな香水の香りだけが漂っていました。   



 その頃・・・
 こぶ山二つ隔てた山之内精米所。
 大型ドイツ製精米機がずらりと並ぶ作業所脇の特別防音室。
 そこでリストの超絶技巧練習曲をもう二時間ほども弾き続けているのはあの五郎池タメ子でした。
 後ろのソファーで悠然とパナマ葉巻をくゆらすのはもちろん山之内精米所のオーナー、山之内作之助です。

 「だいじょうぶでしょうな。今度のピアノバトル」

 と、いきなり声をかける山之内。

  グワーーーン!!(鍵盤を叩きつける音)

 「だいじょうぶです!」

 練習を中断され思わず声を荒げる五郎池タメ子。

 「任せてくださいな!」

 「ならいいんですが・・・」

 「ウチにも面子がありますからな。わかるでしょう? こちらから申し込んだ以上『わかってます!!」

 「だから邪魔しないでください!! お願いだから!!」

 もの凄い形相で振り向き睨み返すタメ子。
 愛らしいリカちゃん人形の瞳がほとんど三角に吊り上がっています。
 これにはさすがの山之内もよっこらしょと腰を上げすごすごと防音室を出て行きます。

 やっと邪魔者を追い払った荒い息遣いのタメ子。
 すぐさま窓を開け部屋に充満した葉巻の煙を換気します。
 ついで震える両の手からゆっくり慎重にギブスをはずします。
 五本の指全てを手の甲側にバネでそらせる特注品・・・名づけて"ショピニスト養成ギブス"。
 非力な彼女が正確無比でダイナミックな指弾力をつけるため幼い頃から愛用していた秘密兵器です。
 でももう限界でしょうか・・・強靭なバネに抗って酷使された細い指は赤くうっ血し痙攣がとまりません。
 それでも彼女はボソリと呟きます。
 
 「まだまだ」

 そう。
 彼女にとってこれはほんの準備運動にすぎませんでした。    
 そして手首を振り振り指のうっ血を冷ましながら納戸から引きずり出したのは身の丈ほどの藁人形。
 使用済み米俵からこっそり造ったその藁人形の胴体にはへたくそな字で"藤道さとる"と大書されています。
 その藁人形の顔めがけ 

  ビビビビビ・・・ビッ!!

 目にも留まらぬ往復張り手十連発。
 
  ビビビビビ・・・ビッ!!

 さらに電撃張り手十連発。

  ビビビビビビビビビビ・・・ビッ!!

 さらにこれでもかと電撃ビンタの二十連発です。
 乾いた藁の感触と手首の高速ビンタ振動が心地よくうっ血を放散させてゆきます。
 どうやら指の痙攣も治まったようです。これで本練習の準備完了。まだまだ夜はこれからです。
 そして

 「負けるモンか」

 さらにボソリとそう呟き
 瞳の無数の☆を闘志の炎で燃え上がらせ
 改めてヤマハピアノに向かう五郎池タメ子でした。