へそ曲がり3
えーーー。
あのへそ曲がりですが、その後どうなったんでしょうな。
「ノーベル賞とってこんかい!!」
と、一粒種の才媛、河馬子をCERN(欧州合同素粒子原子核研究機構)に見送ったへそ曲がりです。
驚いたことに数年後、河馬子は本当にノーベル物理学賞を受賞してしまうんですな。
もちろん日本人では初めての女性受賞者です。
受賞理由は
"超弦理論における超対称性粒子の発見"
欧米でもキュリー夫人の再来とまで激賞されます。
が・・・
帰国直後の空港ホテルでの合同記者会見の席上。
当の河馬子は何故かそわそわと落ち着きがありません。
あの敬愛するお父様、つまりへそ曲がりがどこにもいないのです。
受賞の報を真っ先に国際電話で知らせたときも、いきなり電話を切られてしまったのです。
これまで彼の期待を裏切り続けてきた自分が異国の地で粒粒辛苦の末、やっと手にした栄冠。
今度こそ、よくやったとお父様に褒めてもらえる、ただそれだけに胸を膨らませて帰国したのに・・・
「受賞のこと、真っ先に誰にお知らせになったんですか?」
「それは・・・」
そこらじゅうにあふれるニコニコ顔の記者の質問にも言葉が途切れてしまいます。
でもその時です。
一人の男がむっつりと場内に入ってくるのを河馬子は見逃しませんでした。
かなり白髪が増えたようです。でもあの癖のある顔、あの独特な雰囲気・・・
河馬子の目にぶわっと涙があふれます。
「お父様!!」
席を蹴立てるように駆け寄る河馬子。
シャッターチャンスとばかりに一斉にたかれるフラッシュ。
が・・・
スパーン!!
記者たちの鼓膜に響いたのは派手にはられた彼女の頬の音でした。
「どアホっ!!」
ここぞと吠えるへそ曲がり。
「ほんまにノーベル賞とってくるアホがどこにいてるんや!!」
そして唖然と見守る記者たちを尻目にすたすたそのまま出て行ってしまいます。
もちろん、してやったりの笑みがニヤリとその顔に張り付いています。
彼独特の愛情表現ですが、それを理解できる者ももちろん皆無です。
当の河馬子でさえも・・・
思いっきりはられた頬に手を当て愕然と一人立ち尽くす河馬子。
行き場を失った涙だけがポタポタと真紅の絨毯を濡らしてゆきます。
よほどショックだったんでしょうな。
その後、河馬子は人前から姿を消してしまいます。
帰国直後のノーベル賞受賞者の父親による殴打そして失踪
もちろん轟々たる非難の嵐が父親のへそ曲がりに集中します。
当然あきれ果てた妻からも三行半を叩きつけられてしまいます。
内閣法制局ではへそ曲がりの公民権剥奪までが真剣に議論されます。
窓ガラスは割られ、乗車拒否され、犬に吠えられ、道行く子供にも石を投げられてしまいます。
孤立無援には慣れっこのへそ曲がりですが、それでも今度ばかりは
"ちょっとやりすぎたか・・・"
柄にもなく弱気になるへそ曲がりでした。
さらには八方手を尽くしても杳としてつかめない河馬子の行方。
"まさか・・・河馬子・・・"
彼の胸を不吉な予感がよぎります。
娘の身に対する不安と慙愧にさいなまれ続け
ついにはへそ曲がり自身が姿を消してしまうのです。
そして。
場所は奥飛騨。
鬱蒼とした森の中。
その山腹に一人うずくまるへそ曲がり。
もうかれこれ二ヶ月・・・買い込んだ食料もつきかけています。
"こんな時人は・・・"
空腹と疲労でぼんやりしたへそ曲がりの脳裏に"死"の一文字が浮かびます。
でもどうしても死ねないのです。
これまで人とはまるで逆ざまに生きてきた自身の習い性がどうしても邪魔してしまうのです。
人なら死ぬ<==>自分は生きる
こんな単純な対比が絶対の掟として己の身を縛るのです。
情けなさ、悔しさが、それまでの己の人生への疑念とともに雫となって頬を伝います。
そんな時、ガサッと揺れまる背後の草むら。
振向くと真っ黒な巨大な塊がこちらをうかがっています。
一瞬硬直したへそ曲がりはユラリと立ち上がります。
ヴヴヴヴと黒い巨塊が低い威嚇の唸りを発します。
それでもへそ曲がりはゆっくりと歩を進めます。
その巨大な黒い塊に向かって。
天の救いとしか思えません。
見るにに見かねた神様が手を差し伸べてくれたのでしょう。
黒い塊は今や後足で立ち上がり見上げるような全身で警告を発しています。
それ以上近づくなと・・・
それでもへそ曲がりは躊躇なくジャンプして襲い掛かります。
巨大な熊めがけ。
人ならもちろん逃げるだろう<===>だからこそ自分は・・・
そう。
神様が用意してくれたこの上ない花道です。
へそ曲がりの最期を飾るのにふさわしい一世一代の晴れ舞台なのです。
が・・・
気がつくとベッドの上でした。
「だいじょうぶ? お父様」
真上から懐かしい笑みが覗き込んでいます。
「河馬子・・・」
死んだとばかり思っていたあの娘が優しく微笑みかけているのです。
ここは天国でしょうか。でも近くで白衣のナースがうろうろしています。
「熊なんか追いかけて、いったいどうなさるおつもりだったの?」
「ほんと、お茶目なんだからお父様は」
そんな河馬子の話によると
巨大なツキノワグマと格闘し深手を負いながらも、逃げる熊を夢中で追いかけ力尽きたのが運良く人里付近だった
ようです。かわいそうな熊は直ちに射殺されてしまったそうな。
「そうか・・・」
無我夢中でその喉元に喰らいついた熊にはちょっぴり悪いことをしたなと思いながらも
「俺は・・・生きてるのか」
ぼんやり呟くへそ曲がり。
「どうせまた、叩き出されてしまったんでしょう?」
またもくすっと笑う河馬子。
「地獄の閻魔様のところからもね。そうでしょ?お父様」
それを聞いてへそ曲がりの目からほろりと涙がこぼれます。
この世で唯一の理解者、そして己の遺伝子を受け継いだあの河馬子が戻ってきてくれたのです。