精米所のピアニスト4



 「あれは・・・」

 はっと酒田さんが息を呑みます。

 「幻想即興曲よ」

 すかさず答える二代目、川田精次郎。

 「タメ子はショパン屈指の名曲で真っ向勝負に出たようね」

 五郎池タメ子の細い指たちが全力疾走で鍵盤上を駆け巡ります。
 くわっと目を剥き、まるで鍵盤にむしゃぶりつかんばかりの勢いです。 

 「それに対してウチの藤道君は・・・」

 「な・・なんですか?・・・あの曲は」

 耳をそばだて首を傾げる酒田さん。

 「ジャズよ」

 ほうっと深いため息をつきながら二代目。

 「マッコイ・タイナーのグルーブワルツ」

 藤道君の両手が気まぐれなカエルのようにびょんびょん鍵盤上を飛び跳ねています。  

 「勝負を避けたわね・・・なんて意気地なしなのかしら・・・」

 「あの野郎ーーー!」

 酒田さんの額にむくむくと怒りの青筋が隆起します。
 でも、そんな二人には目もくれず、即席ステージ上の藤道君はノリノリのようです。
 その上体まで往時のスティービーワンダーのように右へ左へフルスウィングしています。


 空高き晩秋の昼下がり。
 見渡す限りの苅田のど真ん中。
 方形に三段まで積み上げた米俵。 
 その上に丸太で組まれた櫓型ステージ。
 ステージ上で相対するは二台のグランドピアノ。
 1912年製スタインウェイ vs 最高級ヤマハピアノC5LA
 川田精米所見習い藤道さとる vs 山之内精米所臨時雇い五郎池タメ子

 新穀を供えて神を祭る新嘗会の最後を飾るにふさわしい余興です。
 余興とはいえ、この讃岐の地で覇権を争う二大精米所がその威信を賭けて激突する真剣勝負です。
 七年前、川田精米所初代当主川田精源が不慮の事故で横死して以来中断されていたあの"ピアノバトル"が復活したのです。

 片や豊富な財力で急成長した新興の山之内がわざわざ東京から呼び寄せた新進気鋭の女流ピアニスト。
 それを迎え撃つのは老舗の川田子飼いの、まだあどけなさの残る精米ピアノ少年。
 噂が噂を呼び、公開席の苅田は稲藁干しや薪割りを終えた野良着姿の百姓や子供たちの立ち見で立錐の余地もありません。
 が、音楽に疎いこれら聴衆のほとんどは、二台のピアノが同時に奏でる名曲も、ほとんど支離滅裂な騒音としか聴こえなかったでしょう。
 同時に演奏される二つの異なるピアノ曲を個別に鑑賞できる耳を持つものはそれだけで天才の名に値します。
 それは同時に、演奏者自身にとっても極限までの過酷な集中力を要求するのです。
 少しでも相手の曲に引きずられたら最後、そこで勝負は決まってしまいます。
 五人のプロ審判員はほんのわずかな音色/リズムの乱れも聴き逃しません。
 ましてや音符の弾き違えなど、たちまち

 「一本!!」

 と主審が旗を揚げ

  ドーン!!

 と"勝負アリ"の大太鼓が打ち鳴らされてしまうでしょう。
 人並みはずれた耳を持つピアニストだからこそ、同時に奏でられる相手の曲に乱されることなく自分の曲を完奏するのは至難の技なのです。
 そう。相手が巧ければ巧いほど・・・


 でも・・・
 勝敗はなかなか決まりませんでした。
 そして二人がほぼ同時に引き終わるや、やはり判定決着にもつれ込んでしまいます。

 「しょうがない子ね」

 あきれ果てたように金髪おかっぱ頭を振り振り溜息交じりにそうもらし
 川田精次郎がつと席を立ち歩み去ります。

 「二代目・・・」

 ほのかな香水の残り香を追うように首をめぐらす最前列の弟子頭、酒田さん。
 後ろに控えていたねじり鉢巻の親方もどこへ行ったのか見当たりません。

  "でもよう・・・" 

 酒田さんは腕組みして考えます。
 
  "判定までいったってことは・・・"

  "あのバリバリのピアノ娘に対して一歩も引けをとらずに最後まで自分の曲を弾ききったってことだろ?"

 そうだよなと独り頷く酒田さん。

  "アマちゃんのあいつにしちゃ上出来じゃねぇかな"

 と、パラパラ拍手が沸き起こります。
 ステージ上では五郎池タメ子の片腕が高々と主審によって掲げられています。
 そしてフリルのドレスの裾を持ち片膝を曲げ頭を下げて聴衆にエレガントな会釈を返す五郎池タメ子。
 荒い息遣い。でもその勝気な瞳には勝って当たり前といわんばかりの傲然たる自信がみなぎっていました。
 その横から、おずおず照れくさそうに祝福の握手を求め手を差し伸べる藤道君。
 その頬にはなぜか幾筋かの涙の跡すら光っています。
 でも、まるで彼など眼中にないかの如くプイと背を向ける五郎池タメ子。
 とたんに血の気の多い酒田さんが反応します。

 「あのアマっ!!」

 ステージ脇の階段下でタメ子の前に立ちふさがり

 「てめぇ何様のつもりだ?! せっかく藤道が・・・」

 でもたちまち

  ビビビビビ・・・ビビッ!!

 問答無用の往復ビンタ十連発。

 「な・・なな・・・」

 そのまま腰からへなへなとへたり込む酒田さん。
 あまりの高速ビンタに脳が揺れ、軽い脳震盪を起こしたようです。

 「勝負はついたのよ。雑魚はすっこんでなさい」

 フンと鼻を鳴らして行き過ぎる五郎池タメ子。
 でも、その歩がピタリと止まります。
 その目も信じられないとでもいうように大きく見開かれています。

 「リヒター先生!!」

 そう叫ぶや駆け出すタメ子。
 その先には、後方立ち見席の百姓たちの間からひょっこり現れたような老人。
 でも長い白顎髭、黒いスーツ、黒いシルクハット、そしてヘヤピンのように湾曲した背中・・・

 「どうしてここへ!? わざわざ私なんかのために!?」

 瞳の☆をいっそうキラキラ輝かせ満面の笑みで呼びかけるタメ子。
 おそらく東京からはるばるここ讃岐に遠征して以来、初めて見せる心からの笑顔でしょう。
 でも、せむし老人はそんなタメ子には目もくれず、そのままひょこひょこと杖を突いて通り過ぎます。
 そして

 「おぬしが精米所のピアニスト・・・」

 ステージを降りたばかりの彼に歩み寄り 

 「藤道さとる君じゃな?」

 どうやら微笑んでいる様子のせむし老人。
 でも深い皺に覆われた表情はよく読み取れません。

 「演奏は聴かせてもらったよ」

 が、深い皺の切れ目からは二つの鋭い眼光が覗いています。

 「どうかね。ワシのレッスンを受けてみる気はないかね?」

 え? この人だれ? ナニ言ってンの?という感じの藤道君。
 そして二人の傍らでは呆然と立ち尽くすばかりの五郎池タメ子でした。