精米所のピアニスト5



 夜。
 キラキラ瞬く一面の星空。
 貧乏長屋裏の干し藁の山に独り寝転がる藤道君。
 好物のべったら漬けをポリポリかじりながら、なにやら物思いにふけっている様子。
 
 「まだ迷っているようね」

 その声に驚き身を起こす藤道君。

 「二代目!」

 ほのかな香水の香り。
 夜風に揺れる涼やかな金髪おかっぱ頭。
 藤道君の隣の干し藁にそっと腰を下ろす二代目、川田精次郎。

 「行ってきなさい東京へ。そしてリヒターチルドレンの仲間入りをするのよ」

 「リヒターチルドレン?」

 「リヒター・ボイテルスパッヒャーが世界中から選りすぐった才能のことよ」

 「ここ数年、ショパンコンクールの上位入賞者の多くがそのリヒターチルドレンで占められているの」

 「・・・はぁ」

 「藤道君」

 改まって向き直る二代目。 

 「君がショパンコンクールに乗り気薄なのは知っているわ」

 「それに私も父の果たせなかった夢を君に押し付けるつもりもないし・・・」

 「でもね、一度この讃岐から飛び出して、もっと広い世界を見てみるというのも悪くないんじゃないかしら」

 「精米技能士の試験勉強なら東京でも出来るわよ。べったら漬けも本場のものが食べられるしね」

 「・・・・」

 「五郎池タメ子のこと、まだ気にしてるの?」

 「自分がタメ子を蹴落としたんじゃないかって」

 「・・・いや・・・僕は」 

 「だいじょうぶよ。リヒターから見放されたぐらいで凹むようなタマじゃないわよ彼女は」

 「今頃、高知に戻って心も新たに打倒藤道の猛特訓に励んでるでしょうよ」

 「・・・高知?」

 「そう。タメ子は高知でも有名な造り酒屋"五郎池酒造(株)"の末娘よ。地元ではハチキンと呼ばれてたそうよ」

 「・・・ハチキン?」

 そこでくすっと笑って二代目

 「八つの金玉、つまり四人の男を手玉に取る女のことをそう呼ぶそうよ高知では」

 「あのリカちゃん人形みたいな外見からは想像も出来ないわよね」

 そして立ち上がり、ジーンズの尻についた干し藁を払いながら

 「ともかく、東京に行くか行かないか決めるのは君自身よ。好きになさい」

 「でも最後に一つだけ教えてちょうだい。あの涙の訳を」

 「涙?」

 「ピアノバトルで演奏が終わったとき君、泣いてたよね」

 「ああ・・・あれは・・・」

 「幻想即興曲のせいでしょ」

 「やっぱり君はタメ子の演奏もしっかり聴いてたのよね?」

 畳み掛ける二代目。
 こっくり頷く藤道君。

 「演奏に感動したの? それともタメ子の気迫に圧倒されたの? それとも・・・」

 押し黙ったままの藤道君。
 喉元まで出掛かっている何かがなかなか吐き出せないみたいな感じ。
 そんな様子に

 「もういいわ。おじゃまさま」

 さらりとそう言ってその場を立ち去る二代目、川田精次郎。  
 このひりひりするような剥き出しの感受性が彼の才能を押しつぶさなければいいのだけれど、などと思いながら。



 その頃。
 川田精米所の事務所。
 神棚の隣に掲げられた初代当主、川田精源の遺影。
 その前で独り胡坐をかき、手酌でどぶろくをあおるねじり鉢巻の親方。

 「旦那ぁ・・・」

 ちょび髭を生やした先代の遺影に語りかけるように
 
 「これでよかったんですかい?」
 
 「本当に・・・これで・・・」

 そこへふと現れたのは

 「親方!」

 もちろん弟子頭の酒田さんです。

 「こんなとこで何してるんです? もう閉めますよ」

 「酒田よ。おらぁ、もう二代目にはついていけそうもねぇ」

 かなり酒が回っているのか、普段は無口な親方がくだを巻くような口調です。 

 「親方! なんでそんな『おらぁ調べたんだ。あのリヒターって大先生のことをよ」

 「するとどうでぃ。あの爺さん、1933年のショパンコンクールで審査員をつとめた野郎だったんでぇ!」

 「それがナニか『バカヤロウ!!」

 とたんに親方の怒号が薄暗い事務所内に轟きます。

 「1933年といえば先代の旦那が日本人として初めてショパンコンクールに出場した年じゃねぇか!」

 「ああ・・・そういえば・・・」

 そこではたと手を打つ酒田さん。

 「1937年の原千恵子より四年も前に本選に出場していながら"米俵事件"で失格となり、国辱として日本のあらゆる公式記録からも抹消されたっていう・・・」

 「おうよ。精源の旦那を失格にした張本人があのリヒターって野郎だったんでぇ!」

 「・・・そうだったんですか」

 「なのに二代目は・・・藤道を・・・あんな・・・あんな糞ジジイに!」

 「ところで前々から聞きたかったんですけど親方・・・」

 「"米俵事件"って、いったい何があったんです?」

 「バカヤロウ!!」

 「てめぇそんなことも知らねぇで・・・知らねぇで・・・」

 が、そのままガクッと頭を垂れ、胡坐をかいたままいびきを立て始める親方。
 やれやれとばかりに親方の酒臭い身体をフロアに横たえ、そっと毛布をかける酒田さんでした。