お見舞い
親父が余命幾ばくもない癌だと知らされたとき、お袋の反応はいたって淡白なものでした。
医者の説明を聞いてから、少し困ったように眉根を寄せてこう言っただけでした。
「楽に死なせてやってください」
よくあるTVドラマなどでは顔面蒼白で気を失ったりわっと泣き崩れたり・・・
あんなのはみんな嘘なんだなとよく分かりました。
そして病院からの帰り道
「そやけどもう少し生きといてもらわんとなぁ」
母親が寂しげにふと漏らしたんです。
「年金もらえんよなるし・・・」
別に愛がないとか言うつもりはないんです。
お見合い婚とはいえ、もう半世紀近く夫婦をやってきたプロの漏らした言葉です。
それには顔面蒼白で泣き崩れるより、はるかに人生の機微を含んだ厳しさと重みが感じられました。
これ幸いとばかりお袋は、親父が大事にしていた庭の植栽をプランターごとみんなカタしてしまいました。
世話する者がいなくなろうとしている今、それらはすべてお袋にとっては益体もない場ふさぎのガラクタでしかなかったんです。
業者は一万円ちょっとで残らず持って行ってくれました。
丹精こめて親父が育ててきた草花もトラックの後ろの大きな圧搾機でプランターごとバリバリと噛み砕かれてしまいました。
そしてお袋は僕に庭の植木の枝も身長の高さまでは付け根から全てのこぎりで切り取るよう命じました。
「伸びてきたらまた面倒やからな」
それを聞いた親父は怒るでもなく悲しむでもなく、ただ空ろな目で
「ほうか・・・」
と頷くだけでした。
その頃には抗がん剤や放射線治療の副作用で頭髪はほとんど抜け落ち、憔悴した顔はだんだん猿に似てきてるように思いました。
人は猿から進化したというダーウィン卿の主張がごく自然に納得できました。
またある日のことです。
病院に見舞いにゆくと、お袋が親父にペンを握らせ何かの書類にサインさせてました。
震える手で親父は言われるまま一生懸命に自分の名前を欄に書き込んでました。
振り向いたお袋の目がまたもこう言っているように思えました。
「あとあと面倒やからの」
保険や家や土地の名義の書き換えでした。
それでも愛がないなどと言うつもりはさらさらないんです。
お袋は毎日着替えを持って見舞いに行っていますし、自宅療養に切り替えた際のインシュリンの打ち方も看護師から一生懸命教わっています。
そして親父はといえば一進一退を繰り返しながらも、食事がまずいだの、下痢で汚した下半身を看護師にやさしく拭いてもらった事などをお袋に語ったりしているのです。
あるいは隣のYさんがちんちんを切除されながらもあんなに陽気なのは既に男として終わっているからだとか、その隣のFさんが人工肛門から便が出ず夜中じゅうその呻き声で眠れないなどとこぼしているのです。
そんなとりとめもない話に、お袋はいつもの少し困ったようなニコニコ顔でじっとベッドの脇に座って相槌を打ち続けています。