お見舞い2



 甲状腺未分化癌。
 それが親父の病名でした。
 Webで調べると三年後の生存率は10%。
 癌の中でも最もまれでそのぶん凶悪なものでした。
 親父は糖尿病と心疾患も同時に患っていたので切除手術も出来ませんでした。

 「もって後半年・・・ひょっとすると一年・・・」

 主治医の先生は言葉を濁しました。

 「でも最期はおそらく一瞬でしょう」

 「首の血管から血が噴き出しおそらく10分と持たないはずです」

 先生はそこだけきっぱりと断言しました。
 他には何も断言できるところがなかったからでしょう。
 親父はベッドに横たわりやせこけた足を宙に組んでぼんやりと天井を見ていました。 
 僕もお袋もただただ黙って先生の説明に頷くことしかできませんでした。
 先生が出て行った後、僕は重苦しい沈黙を突き破るように親父に声を掛けていました。
 その一部始終を聞いていたであろう親父に努めて明るく何気ないふうに。

 「そういうことらしいで」

 親父はぼんやり天井を見つめたまま言いました。

 「・・・何も言うことはない」 

 死期を悟った者、いや、最期の死に様まで断言された者の一言でした。


 お袋は毎夜の看病疲れと慣れない病室のソファーで眠ったのがこたえたのかヘルニアを発病していました。
 今は救急病棟で巻いてもらった腰帯で再発を食い止めていますが、なるべく早く手術しないとまたいつ飛び出るか分からないそうです。
 そのこともあってか僕が帰省したのを幸いにお袋はそそくさと帰っていきました。

 「ほな、あとはまかせたで」

 「ちょっと家で一眠りしてくるわ」

 こうして僕は親父の食事介護に付き添うことになりました。 
 糖尿病が原因の脳梗塞で右半身が麻痺していた親父は箸も使うことが出来なくなっていたからです。
 箸を握らせても力が入らず腕も上がらず口まで持っていくことができないのです。  
 それでも最初はお椀の端に箸を引っ掛けるようにして口まで上げていましたが箸は指の間から何度も零れ落ちてしまいしました。
 僕は見かねてスプーンを左手に持たせましたが親父はそれも放り出し、お椀を直接口まで持っていって犬食いを始めました。
 お椀を顔にかぶせるようにして、がつがつと口だけでお粥さんをかきこむのです(どうしてお粥はさん付けなんでしょうね)。
 日に数分のリハビリと便所に行くとき以外は始終寝たきりの親父ですが食欲だけは衰えていませんでした。
 お椀を顔にかぶせてもうまく口まで流れてきてくれない煮つけやおひたしはとうとう手づかみで食い始めました。
 甲状腺癌に糖尿病、拡張性心筋症に脳梗塞、それにうつ病まで患っている、さながら病気の卸問屋のような親父でしたが食い意地だけは健在でした。
 お椀の底のおひたしのほうれん草の最後のひとかけらまで指ですくい口まで持っていってむしゃむしゃとほうばるのです。
 僕にはそれが親父の意思ではなく癌細胞の意思によるもののように思えました。 
 親父の体をのっとった癌細胞は今や親父の意識までコントロール下に置き、使えるほうの左手に指令を出して目の前にある栄養をせっせと自分に運ばせているのではないかと思えるほど、それは生への執着に満ち満ちたものでした。
 それでも僕はほとんど手を貸しませんでした。

 「手づかみは行儀悪いけど・・・」

 「インドではみんな手づかみでカレー食いよるしな」

 そんな言い訳とも慰めともつかない言葉を掛けていました。
 親父もこんな食い様を息子に見られて少し恥ずかしかったのか苦笑いを返しました。

 「ほうか」

 犬食いでも手づかみでも、赤ん坊のように人に箸で口に入れてもらうよりよほどいいと思ったからです。
 最期まで自分で食って自分で死んでいく・・・
 よほど一個の人間としての尊厳に満ちているじゃないですか。
 そんな親父も毎朝、下半身を丸裸にされて、看護師さんに蒸しタオルで股間まで拭いてもらっています。
 マスクと使い捨ての衛生手袋で完全武装した親切でプロフェッショナルな看護師さんに。


 そして午後にはANA536便で仕事に戻らなければならないという朝。
 僕はこれが生きた親父の見納めになるかもしれないという覚悟で別れを告げました。
 でも

 「こんど見舞いに来るまで生きとらなあかんで」
  
 まともに言えたのはそれだけでした。
 親父もベッドの上に起き上がったきりぼんやりとうなだれて何も言いませんでした。
 五分、十分・・・・時だけが静かに重く流れていきました。
 こんな時、アメリカ人なら黙ってハグするだけでいいんだろうなとか、TVドラマの脚本家ならこれみよがしな涙や台詞をここぞとばかり散りばめるんだろうなとかぼんやりと考えていました。
 それでもやはり双方の口から何も言葉は出てきませんでした。

 「じゃ・・・」

 僕はやっと重い腰を上げました。
 親父はベッドで起き上がったまま左手を上げてゆるゆると手を振っていました。
 猿みたいにやつれた顔は微笑んでいましたが、やはり少し寂しそうでした。
 そのシーンを脳裏に刻み込んでから僕は病室のドアを閉めました。