精米所のピアニスト7



 東京都西日暮里五丁目・・・
 JR西日暮里駅から程近い雑居ビルの二階。
 その薄暗い通路を行ったり来たりする女が一人。
 リカちゃん人形のような愛らしい面立ち。フリルのついたドレスに羽飾りの派手な帽子。
 いわずと知れた五郎池タメ子である。
 彼女は突き当たりのドアの前でかれこれ十分以上もためらっていた。
 ドアチャイムに伸びてもすぐに引っ込んでしまう長い指。
 勝気な大きな瞳も気後れと逡巡にどんより曇っていた。

 その時、ふとドア越しに聞こえてくるピアノの調べ。
 思わずスチールドアにぴたりと耳をつけるタメ子。

 「ショパンの幻想ポロネーズ・・・」

 一音も聞き逃すまいと目を閉じ意識を集中する。

 「ピアノが二台・・・しかも二人同時・・・」

 ほとばしり絡み合う旋律。それでいて・・・
 ほうっと漏れるため息。

 「うまい! 二人とも凄腕だ」

 その声にはっと目を開けると褐色の肌が眼前にあった。
 うわっと飛びのいて声をあげるタメ子。

 「誰よアンタ!!」

 「僕? 僕はレオナルド・チャンドラ。レオって呼んでね」

 そいつは褐色の顔に真っ白な歯をむき出してニッと笑った。

 「君こそ何してるの? コソ泥みたいに」

 「コソ泥ですってぇ!?」

 タメ子は反射的に出そうになる張り手を必死でこらえた。

 「あ・・あたしは・・・」

 「分かってるよ。君もピアニストだ」

 レオはタメ子の長い指とそのピアノダコに目をとめて言った。

 「リヒター先生に呼ばれたクチだろ? 僕もそう」

 そして手にした"うまい棒"をさくさくかじりながら屈託なく笑った。

 「でも、さすがは音に聞こえしリヒタースクール、とってもユニークな練習法だね」

 「二人同時に同じ曲を演奏するなんて」

 タメ子はすかさず言った。ギリリと歯を食いしばり

 「ピアノバトルよ」

 あの"屈辱"の日を思い起こしながら。



 そのころ室内では・・・

 「どうかね麗妃君」

 窓際に座って長い顎鬚をしごいていたせむし老人、リヒター・ポイテルスパッヒャー。     

 「感想は」

 その樹の洞みたいな皺深い眼窩がきらりと光った。

 「とっても刺激的でしたわ! リヒター先生」

 未だ余韻に浸るかのように頬を紅潮させたままの王麗妃。
 その熱い眼差しは向かい合ったもう一台のピアノの主に注がれていた。

 「万人が弾き古したこの名曲に、こんな斬新な解釈があったなんて」

 「斬新な解釈か・・・」

 ほっほっほっと低い笑いを漏らした後、目を転じるリヒター翁。

 「藤道君、君はどうかね」

 「な・・・何がですか・・・」

 おどおどと視線を上げる藤道さとる君。    
 未だどうして自分がここにいるのか分からないといった様子。

 「麗妃君の演奏をどう感じたかね?」

 「物凄くうまいとしか・・・ぼくなんかよりずっと・・・」

 「それだけ?」

 すかさず問いかける麗妃。相手の裏側まで射抜くような視線。

 「いや・・・なんていうか完璧すぎて・・・近寄りがたいって言うか・・・」

 「近寄りがたい?・・・近寄りがたい・・・」

 その言葉を不思議そうに反芻する麗妃。
 そこで判定を下すかのごとくぽんと膝を打ち

 「早くもお互いが気づいたようじゃの」

 ほっほっほっと笑うリヒター翁。

 「自分に何が欠けているのか」

 その時、ドアチャイムが鳴って来客が二人。

 「遅くなりました。リヒター先生」

 すっと歩み出る長身の若者。

 「おお、やっと来たか」

 杖を付いて立ち上がるリヒター翁。

 「インドからはるばるやってきたレオナルド・チャンドラ君だ」

 そして正式にリヒタースクールの開校を告げる。

 「こちら中国の王麗妃君と日本の藤道さとる君。これでみんなそろったな」

 その時、背の高いインド人の背後からダッと飛び出すもう一人。

 「お願いですリヒター先生!!」

 がばっとフロアに突っ伏し額をこすりつける。 

 「私も加えてください!」

 「君は・・・確か・・・」

 「五郎池タメ子です! 必死でがんばります!」

 ふうむと言ったきり俯いて何やら思いをめぐらすリヒター翁。

 「決してみんなの足手まといにはなりません!!」  

 さらに額を擦り付けるタメ子。
 華奢な肩と帽子のリボンが小刻みに震えている。
 一方、誰なの?とばかりに冷ややかに見下ろす王麗妃。

 「タメ子さん・・・」

 腰を浮かしてぼんやり呟く藤道君。その時

 「僕からもお願いしますよ。リヒター先生」

 ふと声を上げるレオナルド。   

 「見てください。この手を」

 土下座するタメ子の手をそっと取り 

 「今時こんな手をしたピアニストがいるでしょうか?」

 「彼女の努力だけは認めてあげてもいいんじゃないですか?」

 そしてきっぱりと言い放った。

 「もしダメだとおっしゃるなら僕もインドに帰らせてもらいます」

 「・・・わかった」

 ようやく顔を上げるリヒター翁。

 「特別に補欠生として加えてあげよう。五郎池君」

 「あ・・・ありがとうございます!!」

 屈辱と喜びがないまぜになった涙がフロアをぽたぽた濡らしてゆく。
 それから目を背けるようにしてリヒター翁。    

 「その代わり雑用もやってもらう」

 「まずは下のセブンイレブンでワシの入れ歯洗浄剤を買ってきてもらおうかの」

 「ポリデントじゃ」

 「はいっ!!」

 ダッと駆け出すタメ子。
 すかさずその背に声をかけるレオナルド。

 「ついでに"うまい棒"も三つ、お願いね」

 コホンと一つ咳払いしてからリヒター翁。

 「じゃあレオナルド君・・・」

 「レオでいいっすよ」

 「レオ君、お披露目に君も何か一曲、弾いてもらおうかの」

 「分かりました」

 にっこり笑って藤道君を押しのけるように椅子につくレオナルド・チャンドラ。
 その褐色の顔の真っ白な歯には"うまい棒"の食いかすがいっぱいこびりついていた。