精米所のピアニスト8
「元気でやっていますか?」
久々の母からの便りです。
「慣れない東京でホームシックにかかっていませんか?」
「そんな時は大好きな"べったら漬け"でも食べて元気を出してください」
「母さんはいつだって讃岐の田舎からさとるのことを見守っていますからね」
そんな手紙を手にうるうると涙ぐむ藤道君でした。
"母さん・・・"
そして一緒に送られてきた自家製べったら漬けに手を伸ばしこりこりと頬張りながらも
"僕・・・がんばるからね"
と、机に開いた問題集に改めて向き直る藤道君でした。
そこへいきなり後ろから声が。
「あんたナニやってるの?」
うわっと椅子から飛び上がる藤道君。
見ると五郎池タメ子がずかずかと上がりこんでいます。
「タ・・タメ子さん!・・・いつの間に」
が、タメ子は四畳半の部屋中じろじろねめまわした挙句の呆れ顔です。
「せっかくリヒター先生が用意してくれたピアノ付きマンションも引き払ってこんな小汚い・・・」
藤道君は初めてタメ子と出遭ったあの晩を思い出していました。
あの時もタメ子は突然怒涛のように貧乏長屋に乗り込んできたのでした。
そんなタメ子が机の上の問題集をふと手に取って呟きます。
「精米技能士検定?・・・二級?」
その額にみるみる青筋が浮き上がります。
はっと身をこわばらせる藤道君。
「アンタいったい何しに東京に出てきたの!?」
「ピアノの練習はどうしたのよ!!」
しかしなぜかあの電撃張り手は飛んできませんでした。
いつものタメ子と少し違っているようです。
頬にほんのり赤みが差し、その息も少し酒臭い気がしました。
それでもおろおろうろたえながら藤道君。
「いや・・ピアノならちゃんとここに・・・」
そう言いながら指差したのはやはり木机の表面に彫刻刀で刻み込んだだけの88鍵盤。
あの"マイピアノ"でした。
「アンタねぇ・・・」
タメ子が下を向いてぼそりと呟きます。
「ショパンコンクールをなめてんの?」
「リヒタースクールをなめてんの?」
声のトーンまで不気味に一段下がっています。
「あたしが土下座までしてやっと加えてもらったリヒタースクールをアンタは・・・」
「どうしてもっと自分の才能を伸ばそうとしないの?」
「こんな・・・こんな・・・」
華奢な肩が小刻みに震えています。
そしてくわっと顔を上げたタメ子の目はなぜか涙で真っ赤に充血していました。
「こんなんであの麗妃やレオナルドに勝てると思ってるの!?」
「いや・・・」
あまりの気迫にあとじさる藤道君。
「あの二人は天才だし・・・もともと僕にはショパンコンクールなんか・・・」
「バカァ!!!!」
今度こそと藤道君が身構えたその時です。
「じゃまするよ」
と、ひょこひょこ杖を突きながら入って来たのは、あのせむし老人でした。
「リヒター先生!!」
手を上げたまま目を丸くするタメ子。
そんなタメ子に老人が一言。
「ポリデントじゃ」
「はいっ!」
条件反射的に駆け出してゆくタメ子。
そんなタメ子には目もくれず
「ほほぅ・・・」
にこにこと机に歩み寄り
「これで練習しとるのか」
机に刻んだ88鍵盤の溝に指を滑らせるリヒター・ポイテルスパッヒャーでした。
そしてふと四畳半の隅に目をやるやほうっと息を漏らします。
「なんと・・・米俵ではないか」
精米技能士検定に備え腕が鈍らないようわざわざ田舎から送ってもらった讃岐コシヒカリです。
「そういえばまだワシが若かった頃・・・」
長い顎鬚をしごきながら遠い昔を懐かしむような口調です。
「ショパンコンクールの本選にこんな米俵を担ぎ込んだ日本人ピアニストがおった」
「え?・・・」
「名前は確か・・・川田精源」
「せ・・先代を知ってるんですか!? リヒター先生!!」
「そうか・・・」
ひとり頷く老人。
「やはり君は、あの川田精源の弟子だったのか」
「いや弟子というより・・・先代は僕と母の大恩人です」
「・・・ピアノに関しては小さい頃、少し手ほどきを受けただけですけど」
「彼は今どうしとる?」
「七年前・・・精米中に機械に巻き込まれて・・・」
「そうか・・・実に惜しいことをした」
皺深い眉間にさらに深い縦皺を寄せる老人。
「ところで藤道君・・・」
それからふと思い出したように顔をほころばせ
「彼が本選で課題曲を演奏した時、米俵でいったい何をしたと思う?」
「え?・・・米俵で?・・・」
「こうやって米俵から米を掬い取り・・・」
いかにも愉快そうに米俵の傍らで仕草をまねる老人。
「そして蓋をしたピアノにぶちまけたんじゃ」
「ええっ!・・・どうして」
「もちろんえらい騒ぎじゃ。すぐさま会場から叩き出せという審査員もおった」
「じゃがワシは言った。とにかく演奏を聴いてみようと。何か訳があるはずだと」
「そして・・・誰もが唖然としておった」
「それぐらい抜きん出た技量と独創性の持ち主じゃったが・・・審査結果はやはり失格・・・」
「でもなぜ・・・」
「米をピアノにぶちまけたのか・・・理由を知りたいじゃろ?」
「はい」
「だったら君もショパンコンクールに挑んでみることじゃ」
「恩師の真に成さんとしたことを知るためにもの」
その頃、ポリデントを下げ駆け足でコンビニから戻ってきたタメ子。
おんぼろアパートの藤道君の部屋の前ではっと立ち止まります。
そこに不振な挙動で中をうかがっている黒づくめの男が一人。
「アンタ誰? 何してるの!」
男はダッと逃げ出しますが
「待ちなさいよ!」
そうはさせじと狭い通路に立ちふさがるタメ子にいきなり
あーータタタタタタタタッ!!
高速旋回のヌンチャク棒が襲い掛かります。
が
「なにすんのよっ!」
タメ子の電撃往復ビンタのほうが一枚上手でした。
ビビビビビビビビビビッ!!
ヌンチャク棒をかいくぐり二秒で十発あまりも相手の頬に叩き込みます。
たまらず軽い脳震盪でその場にへなへなへたり込む男。
その胸倉をつかんでゆさぶるタメ子。
「泥棒なんかじゃないわよね」
「だったらスパイ?」
「何が目的!? 誰の差し金!?」
「何とか言いなさいよっ!!」
が、男は真っ赤に腫らした頬に不敵な笑みを浮かべるだけでした。
そしてすぐさま回復するや、とんぼ返りで跳ね起きざまダッシュ!
「こら待てっ!!」
後を追って外に飛び出したタメ子でしたがすでに影も形もありませんでした。
"影"がそのまま夜の闇に溶け込んでしまったかのように・・・