精米所のピアニスト9




 ある晩。
 JR西日暮里駅近く。
 ガード下のおでん屋台。 

 「土佐誉(とさのほまれ)よ!」

 ほろ酔い機嫌で屋台の親父に絡んでいたのは 

 「土佐誉ちょうだい!」

 あの五郎池タメ子でした。
 いつものフリルのついたドレスに羽飾りの派手な帽子。
 仕事帰りのサラリーマンも横目で奇異の視線を投げかけてゆきます。

 「土佐誉?・・・高知の地酒ですかい?」

 ねじり鉢巻の屋台の親父もいささか持て余し気味です。

 「"五郎池(ごろういけ)酒造"のあの大吟醸を置いてないって言うの!?」

 「あいにくちょっと・・・きらしてまして」

 フンと鼻を鳴らしてふてくされたようにコップ酒をあおり、今度は隣の背広男に絡み始めます。

 「あたしはその五郎池酒造の末娘で名前はタメ子・・・知ってた?」

 「いや・・・」

 「子以外はカタカナで"タメ子"って書くの・・・信じられる?」

 「いや・・・」

 リカちゃん人形のような面立ちに大きな目だけが異様にすわっています。
 いきなり話しかけられた背広男も居心地悪そうに尻をずらせます。 

 「あたしがこうなったのも大方その名前のせい・・・知ってた?」

 「いや・・・ぜんぜん」

 「五郎池なんて言っても生まれてきたのは女ばかりが五人・・・」  

 「今度こそは男の跡継ぎをと願っていた父はあたしが生まれた時、がっくりうなだれて大きなため息しかつかなかったそうよ」

 「名前なんかもうどうでもよかったのね・・・それでタメ子。漢字を当てる気力もなかったって訳。笑えるでしょ?」

 「いや・・・」

 「でもあたしピアニストなの。高知の造り酒屋の末娘でもピアニスト・・・知ってた?」

 「へぇ・・・」

 「必死で練習して音大も首席で卒業したわ。いつかはあのショパンコンクールで優勝して父を見返してやろうと思ったのよ」

 「へぇ・・・そうなんだ」

 最初迷惑そうだった背広男もいつしか聞き耳を立てています。

 「でも結局、精米がてら片手間に机ピアノたたいてるようなやつにも及ばなかったの」

 「せいまい?・・・つくえピアノ?・・・」

 「どんなに練習したって・・・あたしの才能なんか・・・結局その程度のもんでしか・・・」

 そのままカウンターに突っ伏してうっうっと泣き出してしまうタメ子。
 見かねた屋台の親父が無言でコプコプとコップ酒を継ぎ足します。
 その時、タメ子の肩に後ろからすっと白い手が。

 「河岸(かし)を変えましょ」

 はっと顔を上げたタメ子ににっこり笑いかける彫りの深い金髪おかっぱ頭。

 「付き合うわよ。タメ子さん」

 涙目をごしごしこするタメ子。

 「あなたは・・・確か・・・」

 それはやはり、藤道君の勤める川田精米所二代目当主、川田精次郎その人でした。 



 そして。
 場所は変わって六本木のナイトクラブ。
 ボックス席に陣取ったタメ子と川田精次郎。

 「ちょっと精米組合の全国評議会があって上京したの」

 「・・・・」

 「どう? 藤道君、元気でやってるかしら?」

 屈託なく話しかける精次郎。
 対して酔いがいっぺんでさめた様子のタメ子。  

 「自分で見てきたらいいじゃないですかぁ」

 露な敵対心を隠そうともしません。

 「どうせあたしなんか、あいつのただの"かませ犬"なんでしょ?」

 「・・・嫉妬してるの? 藤道君の才能に」

 ぐっと押し黙るタメ子。

 「だったら私とおんなじね」

 くすっと笑ってから、ふと遠い目になる精次郎。

 「父は私にピアノを教えてもくれなかったわ」

 すかさず後を継ぐタメ子。

 「川田精源・・・昭和初期の伝説のピアニスト・・・リヒター先生から聞いたわ。非公式ながらショパンコンクールの本選まで行ったっていう」

 「そう。でも私が父から受け継いだのはピアニストの耳だけ。肝心のピアニストの指は受け継いでいなかったの」

 「それが分かってから父は愛用のスタインウェイに私を触らせようともしなかった」

 「藤道君には幼い頃から自由に弾かせていたのに・・・」

 「・・・・」

 「お互い、罪作りな父親を持ったものね」

 「・・・それがトラウマで、そんなになっちゃったんですか?」

 自分のことは棚に上げて意地の悪い問いを投げかけるタメ子。

 「え? なんのことかしら」

 軽くあしらう精次郎。

 「でも結局は・・・」

 キッと向き直るタメ子。

 「結局は才能だって言いたいんでょ?」

 「あたしにはあいつみたいな才能がないから諦めろと」

 「そうじゃないの。最初は確かにあなたを彼の"かませ犬"だと思ったこともあるけど・・・」

 「彼がしぶしぶながらもリヒタースクールに参加するため東京に出てきたのはあなたのせいじゃないかしら」

 「え?・・・」

 「あのピアノバトル、覚えてる? 藤道君と一対一で対決した」

 「一応はあなたが勝ったことになってるけど、藤道君はジャズを弾きながらも、あなたのショパンも一音残らず聴き取っていたわ」

 「あなたが自分のショパンだけに集中して彼の音を心から閉め出してしたのに対してね」

 「ええええ。みんな才能の違いでしょうよ」

 「それでも彼はあなたのショパンに泣いていたの。気がついてた?」

 「え?・・・」

 「その涙の訳を、彼は最後まで教えてくれなかったけどね」

 「・・・・」

 「案外、才能なんかじゃないのかも知れなくってよ」

 「人を泣かせる程の音を紡ぎ出せるかどうかっていうのは・・・」

 しばしの間。 
 黙りこくって下を向くタメ子。
    
 「あ・・・いい音」

 ふと気がついたように精次郎。

 「才気と衒いに満ちてるけど、伸び盛りのいい音だわ」

 先ほどからのピアノソロに目を瞑って耳を傾けます。
 タメ子がステージに目を遣ると、イージーリスニングをポロポロと爪弾きながらも片手でさかんにこちらに手を振っている一人のピアノマン。

 「あのバカ・・・」

 タメ子が目を丸くして呟きます。
 褐色の顔から零れ落ちそうな真っ白な歯並。
 鍵盤の脇には"うまい棒"が山積みになっています。

 「なんでまた・・・こんなところで・・・」

 そう。それは
 リヒターチルドレン(リヒタースクール正規生)の一人、インド人のレオナルド・チャンドラでした。